実は、右の胸に小さくないしこりがあることが、本当につい最近、発覚しました。
代々がん家系で、親族のほとんどががんで亡くなっているので多少は覚悟していたし、就職と同時にがん保険にも入ったくらい、しっかり備えもしています。こう見えて石橋は叩きすぎて叩き割るタイプの女です。実際、どう見えてるのかは知らんけど。
見たところ悪性ではなさそうだけれども、必ずしも良性だとは言い切れないとのことで、とりあえず経過観察になったのですが、正直ぜんぜん長くないインターバルで乳腺外科を受診して、検査をしなければならなくなりました。
もし悪性であることが確実に判明すれば、そのとたん、右の乳房のすべてと、腋下のリンパまで摘出することになる可能性が大きいようです。
すごいよね。やばいよね。まさか自分が、みたいな心境に、本当になるんだね。
そういうわけで、がんというものが突然かなりグッと身近なものになったわけですが、そんな折、ある方のご自宅におじゃました際、こちらの本がリビングの本棚に置いてあるのを見て、あまりにもタイムリーで手に取ってしまいました。
べつにまだ告知されてないけどね。
これは、がんに対する有効な治療法なんかが気難しく書いてある、医学書ではないです。もちろん医学的なことについても説明があるけれど、あくまでもすべて、その先にあることを伝えるために必要な情報にすぎなかったです。
クオリティ・オブ・ライフ。
めちゃくちゃ流行っている言葉だけど、意識の低い場所にいるわたしが、そのことについて徹底的に考えざるをえなくなってしまいました。
がんは、治らないみたいです。
そのメカニズムについて、浅くはあるけれど、頭悪いなりになんとなく理解できたし、納得もしました。不治の病、というか、完全になくすことがむずかしい欠陥、みたいです。
でも、だからといって、生きていけないわけじゃない。
治らないからといって、なくせないからといって、いきなり死に直結しているわけじゃない。
いやでも本当にその通りで、とりあえずまず自分の体をもってしても、わたしの右胸にいつからしこりが存在していたのか、まったく不明なのですよね。
ただわかっているのは、検査をした日にいきなり生まれたわけじゃなく、きっと年単位の長い時間をかけて、生まれて、育って、それは出来上がってきたはずだということ。
でも、わたし、検査する日まで超元気でした。正直いまも、超元気です。
人間って本当に不思議なもので、診断を聞いたあとはめちゃくちゃ落ち込んだし、まじめに死ぬことについて考えました。
オタク全盛期に買いあさっていたグッズとか、性癖しか詰めこまれてないBL本とか、うわ~どうしよう、なんてアホなことにまで、真剣に思いをめぐらせました。(いやそこらへんいずれ真剣に考えなアカンことやけども)
でも、検査から一か月ほどが経ったいま、感じているといえば、まじで毎日普通やな、ということです。
普通に仕事に行くし、朝起きるのダルいし、ご飯はおいしいし、花粉はつらいし、韓国ドラマみてすごい勢いで泣けます。(愛の不時着見終わったよー!また語りますね。語るなと言われても語りますね。)
検査の前から変化したのは、ただひとつ、自分のなかにしこりがあることを知っているかどうか、という点のみ。
あ、ひょっとしてまさにこれがQOLというやつなのか?と、本を読んで思いました。
これからどうなるかわからないので、もしかしたらある日いきなり悪性の診断が出て、右胸を失うことになるかもしれないし。はたまた、もっと酷い結果になっているかもしれないし。
でも、仮におっぱいがなくなったからといって、生きていけないわけじゃない。食べたいものを食べられなくなるわけじゃない。着たい服が着られなくなるわけじゃない。大好きな旅行ができなくなるわけじゃない。見たい映画を見たくなるわけじゃない。推しを推せなくなるわけじゃない。
の、かもしれない。
なので、わたしはこれからももりもり食べるし、思う存分寝るし、国内外を飛び回るし、和服の着付けを習うし、ダイビングライセンスを取得するし、アマプラとネトフリを巡回するよ。
クオリティ・オブ・ライフ、
これまで感じていた響きほど、意識の高そうな、高尚なものではない気がしています。少なくとも、いまのわたしにはそう聞こえています。
返さなければならない本だけど、そのうち自分で買い直して、手元に置いておこうかな。
ところで、東日本大震災より、きょうでまるっと10年ですね。
わたしは終業式かなんかで、午前中のみで学校が終わって、祖母のお見舞いをしに訪れた病院の7階にいました。東海地方なのだけども、けっこう大きく揺れて、病室にいたほかの患者さんとか、看護師さんとかと一緒に「すごかったねー」みたいな、能天気な会話をしました。
そのあと、家に帰って、テレビを見て、惨状を知りました。
あの日の、あの瞬間、どこで誰と何をしていたのか。この話題になると必ずみんな鮮明に覚えていて、すごいなあと思います。それほどにすごい出来事だったんだなあと、10年間のうちに何度も思いました。
冷たい言い方をすれば正直かなり他人事で、実際に経験したわけでも、見たわけでもないし、東北に親しい人もいないし、だから踏みこんだことは言えないのですが。
でも、いつまでも、忘れていたくないです。あの日のあの瞬間のことを、いつまでも、これから出会う誰かと話題になったとき、鮮明に伝えられるようにしていたいなと思っています。
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